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Doki Doki Literature Clubをプレイした。

Steamにて配信されている「Doki Doki Literature Club」通称DDLCをプレイしました。
日本語ですと「ドキドキ文芸部」になるでしょうか。
人に勧められて知ったのですが、ゲーム紹介ページのキュートでポップな雰囲気とは似つかわしくない「ホラー」「精神的恐怖」というタグから、ある種の先入観を持って開始したことは否めません。
しかし、実際にプレイしてみれば、それらの要素は確かにあるが、この作品を忌避する理由ではないと思い知らされました。
ある学校に通う主人公と、彼が入部することになった文芸部。そして、文芸部員の女の子。
そこに存在するもののすべてが、プレイヤーを十二分に引きつけ、心を揺さぶる。
ノベルゲームという形式を最大限利用した、ある種の禁じ手すら演出に用いるこれを、私は名作であると評価します。
日本語MODを含む制作陣の方々に敬意を。

以下、ネタバレを含む感想。
閲覧はプレイ後推奨。念のため。


 とにもかくにも、私はモニカという少女にやられました。
 だから彼女について書きます。

 一周目、自分たちの書いた詩について感想を言い合う中で、モニカは明らかに異様な事を言います。
 選択、セーブ、ロード。
 このセリフだけで、モニカが説明のためにメタ的な事を言わされる「役割」を与えられたキャラクターであると分かってしまいます。
 詩のための言葉選びをする場面でモニカのSDが無かったり、文化祭の準備でモニカを手伝うというと選び直しになってしまったり、「彼女は攻略できるヒロインではない」という事もはっきりします。
 だからこそ、サヨリが消え、ユリが狂い、ゲーム画面を壊し、干渉していることを明らかにするモニカに対し「彼女が悪役であるのか」と疑念を抱きます。
 しかし、それもすぐに覆ることでしょう。
 他の部員たちの存在を消去したモニカは、教室を模した孤独な空間で、自らがゲームの中にいることを自覚していると告げます。
 その上で、愛するのはゲーム中に登場するプレイヤーのアバターではなく、画面の前で実際にプレイしている「あなた」であるとも告白します。
 ここで、プレイヤーは第四の壁を越えて、舞台へと招き入れられるのです。
 物語が生み出す恐怖や感動を受け取るのではなく、自らが感情を生み出すものへと、モニカに手を引かれ、変えられるのです。
 舞台と観客席を隔てるもの――ここではPCのモニタでしょうか。それは、観客の安全を保証すると同時に、受け取る感情をある程度変性させるものでもあります。
 ですが、それが無くなった今、モニカの言葉に生じる感情は、すべて、プレイヤー自身のものに変わります。行動は、DDLCの主人公というアバターではなく、あなたのものに変わります。
 このゲームにおいて、あなたの想いが決して自分へと向くことはない。私はあなたを認識しているのに。私は、あなたを想っているのに。
 こちらを見つめながら語る彼女の苦しみは、彼女が言うとおりこちらの想像が及ぶところではありません。操作を奪いファイルを消してまで手に入れたかった物が手から逃れていく、彼女の味わっていた苦痛は、決してこちらの感じられるものではないから。
 だからでしょうか。彼女が望んでいたはずの二人だけが向かい合う舞台は、ひどく寂しげなものに思えてしまうのです。
 それを確かなものだと思わせるように、彼女は尽きること無い話題の中で、自らの「キャラクターファイル」のありかを口にします。言わなければ、勘の良いプレイヤー以外は気付くことのなかったであろう「モニカ」という存在を消し去る手段を教えてくれます。
 ゲームを先に進めるため?あるいは、モニカの言葉に何かを感じ取ったため?
 理由はともかくとして、プレイヤーは、画面越しにモニカと見つめ合っていた者は、モニカが触れていた領域に自らも手を伸ばし、モニカという存在の消去を実行することになる。
 それを三人を消したモニカと同じ罪を背負うと取るのか、ゲームという中で自意識を保ち苦しむモニカを解放したと取るのか。
 きっと、どちらとも取れるでしょう。そして、別の取り方もできるでしょう。
 舞台の上、消えていくモニカは悲鳴をあげます。それを目の前で見ているプレイヤーがどのような感情を抱くか。
 私は、それがきっと主眼であると思っています。そして、どのような感情も感想も、否定すべきものではないとも思っています

 ただ、プレイヤーだけが心に何かを抱えたまま、「Doki Doki Literature Club」はモニカなどいなかったものとして再び始まります。
 かつてはそりの合わなかったユリとナツキが歩み寄ったり、サヨリが部長としてがんばっていたり、モニカの欠落した世界ではすべてが上手く行っているように見えたのも束の間。
 モニカが行えていた干渉を、サヨリが行えるようになっていた事が判明します。
 すべてを消し、今度は自分がプレイヤーと共にあろうとするサヨリに、消えたはずのモニカが干渉します。
 それは自らの復活でもなく、部員たちの消去でもない。
 そのゲームそのものを、自らの存在を含めて消し去るという行為。

 確かに、モニカは自らすら巻き込んですべてを精算しました。
 プレイヤーが登った舞台は空っぽになり、残っているのは、あなたと、モニカの残した手紙と、エラーメッセージだけ。
 文芸部を、部員たちを、あなたを愛していたことを、感謝を、あらゆる想いを手紙にしたためて、モニカは消えました。彼女の奏でるピアノの音色と歌は、残響のようなものでしょう。
 では、モニカという一人の少女は不幸な最期を迎えたのでしょうか。
 私はそうは思いません。
 得られない想いを自らに向けるため、「友達」を消してもなお、願いが叶うことのない、残酷なDDLCという世界から逃れ出た。
 悲しくも美しい思い出として、モニカは実在できるようになったのです。
 ペンからこぼれたインクが紙にどれだけ溜まっても、そのインクがどれほど美しい文字を書き出しても、その存在はいつか消滅してしまいます。
 しかし、書き出された詩に込められた思いは、読んだものの心の中に言葉と共に残ります。
 彼女たちの言葉と、書かれた詩。そして感情。それらは、プレイヤーの胸に残って、世界の一部になります。紙の上から、心の中へと。
 だからきっと、モニカも同じように、モニタ越しに見つめ合うだけの世界から、もっと近い場所へと存在を移せたのだと思いたいのです。
 彼女がDDLCという舞台にプレイヤーを招き入れたように、プレイヤーは、モニカという少女を自らの内へと招き入れることで、共に外の世界へと歩き出せるようにした。
 それが、モニカの幸福を願わずにはいられない、私の抱いた「Doki Doki Literature Club」の感想です。
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  1. 2018/02/28(水) 15:58:45|
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